■無自覚であることの稚拙さ
今回のセンシティブな内容を取り上げるにあたって、結論から先に言います。
人種差別はあります。
事実、私自身も経験しました。
「それって、あんたの被害妄想じゃないの?」と思った方もいるでしょう。
もちろん、その可能性もあります。
私の内気な態度やぎこちない笑顔を見て、人間的に見下されたのかもしれません。
それにその瞬間は、人種差別なんてされたと思っていませんでした。
しかし、あれはそうだったのではないか。
振り返ってみた際にそう感じる事がいくつかありました。
それは、私に対する明らかな態度の違いでした。
その時周囲にいた人達との扱いに違和感を感じたのです。
“これは自分がアジア人だからなのか?”
そう感じたのと同時に居心地の悪さを感じた場面でした。
私がなぜこの様な話題に触れるのかと言うと、ある種の覚悟を持ってもらいたいからです。
事前情報としてインプットしておけば、感情のコントロールがしやすいです。
これは、肌の色や国籍で特定の人種を持ち上げたり、下げたりしようとする意図はありません。
ただ、1年間のワーホリを通じ、多くの人たちと交流をした経験から伝えたいことがあります。
私だからこそ持てるフラットな目線で、実体験を紹介しようと思います。
■ホームパーティでの疎外感
別記事でも触れていますが、私は最初の1年間はホームステイをしていました。
両親と一男一女の子供たちで、計4人のホストファミリー。
彼らはいつも笑顔で優しい方たちでした。
そんな土曜のある日です。
知り合いの家で行われるパーティーに来ないか?
その様な誘いを受けました。
その時はまだアルバイトをしてなく、平日にボランティア活動をしているだけでした。
だから、久々に肉が食べられるチャンスなのではと期待していました。
ちなみにホストファミリーの母親がビーガンでした。
だから、普段の食卓にはほぼ、野菜以外出なかったのです。
家族全員で車で着いた先の家は、芝生のテラスが付いた平屋の一軒家。
おそらく7~8歳くらいの子たちが4,5人とその両親達。
おそらく、総勢15人くらいはいたと思います。
家の中にはバーベキューコンロが置いてありました。
そこでは、ソーセージやパティがずらり。
バンズで挟んでセルフで自由に食べてくれという意味だったのです。
そんな中、子供同士、大人同士、各々で固まってしまいました。
談笑している姿を横目に自分はポツンと部屋の隅に佇んでいたのです。
ただ、このような状況になってしまうのも仕方ないなと感じていました。
向こうからすれば、友達家族を呼んだつもりのはずです。
なのに知らないアジア人の男がちゃっかり居たのですから。
そして、このボッチ感は夜遅くまで続くのでした。
大人たちの宴が終わりまでずっとです。
■目も合わせてくれない人たち
結論から言うと、何が嫌な事を言われたということはありません。
もちろん、意地悪をされたりもしませんでした。
ただ、明らかに避けられているなと感じた場面がいくつかありました。
具体的に言うと、
・こちらを見ながらのヒソヒソ話
・話しかけようと近づくとその場から立ち去る
・話しかけても目も合わせてくれない
・子供と話していたら、引き離される
・・・などです。
もちろん、私にも原因が全くなかったということはないでしょう。
それは冒頭でお伝えした通りです。
別の記事で紹介している通り、私自身極度の人見知りです。
それに、その当時は全く英語が話せませんでした。
何より、大勢のオージー達に囲まれて完全に面くらっていました。
そんな強張った表情でいたら、話しかけにくいに決まっています。
だから、自分から話しかけようと思っていました。
しかし、どうもその勇気が出せなかった。
なので、子供達の輪の中に入ってみようと試みました。
「名前は?」「何歳?」などの簡単な会話のやり取りでした。
そうやってやっとの事で居場所を確保することができたと思っています。
あくまで向こうに敵意や嫌悪感なんてなかったのではないか?
そう感じる方もいるでしょう。
これは私の主観で話しているので、その可能性も多いにあったと思います。
それにこの時はダメダメな自分を責めて、自己嫌悪に陥っていました。
でも、その後の生活の中でも似たような経験をいくつか経験しました。
それは、ある程度日々の暮らしにも慣れてきた頃のことでした。
スーパーのレジでの精算時、駅で振替運行バスの場所を尋ねた時など。
バーベキューの時と同様で全く目も合わせてくれなかった人たちがいました。
それまで笑顔で接客していたのに私の番が来たら、挨拶もせずにそっぽを向いてしまう店員。
何度聞いても適当な場所しか指ささず、見当違いな事を言う駅員。
その時は不愉快な気持ちを感じただけでした。
単純にその個々人たちの機嫌が悪かっただけだったかもしれません。
他の欧米人達はよかったのにもかかわらず。
おそらく、これらのケースが人種差別だったのではないかと思います。
思い返してみるとそう感じます。
話は戻りますが、結局、深夜近くまパーティーは続きました。
私は、一刻も早くそこから早く抜け出したい。
そればかりずっと思っていました。
日が暮れて少し経つと子供達は寝てしまった一方。
大人たちはお酒を飲んで、歌って、踊る。
相変わらず、私は大人達の輪の中には入っていけないままでした。
居場所を失った私は、もう勇気を出すことはできませんでした。
いつ帰れるのだろうと暇を持て余しているだけ。
ただ、ハンバーガーやホットドッグを食べることができてのは非常に満足でした。
でも、その日のことはいい思い出となることはありませんでした。
■偏見は仲良くなれる機会を潰す
私の小言みたいになってしまい申し訳ありません。
つまるところ相手の本心は分かりません。
それに、そんな事を言っていたら切りがありません。
人の心の内なんて誰も知る由がありませんから。
あくまで、これが差別だったのだろうという私の見解にすぎません。
ただ、前述した様にそういう事があり得ると覚悟していた方がいいでしょう。
そうしていれば、拒絶された際の心の持ち様が違うはずです。
そういうものだと割り切って、余計なトラブルも回避できると思います。
そして、私がこの内容を通じて一番伝えたいことがあります。
それは、全ての人がそういう事をするわけではないということです。
何を当たり前の事を言っているのだと思うかもしれません。
しかし、誰しも同じ人種の人に数回会った程度で特定の印象を抱いてしまう。
その様な危うさを持っていると思います。
それは、いい意味でも悪い意味でも。
なぜなら、私自身がワーホリ生活でそう思える教訓を得たからです。
それは、学校やバイト、ファームで出会った韓国人達が教えてくれたことでした。
言うまでもなく、国レベルで見たら、日本と韓国は良好な関係を築いているとは言えません。
お互いが良くない印象を抱いていることは否めません。
だから、韓国人に対してある懸念を抱いていました。
日本人だと打ち明けた際に不快感を示されるのではないかと。
しかし、そんな心配は単なる気苦労として終わることになりました。
ワーホリにおける1年間の中で何十人もの韓国人の人達と出会ったと思います。
その中で、私が日本人だからという理由で嫌味や文句を言う人は一人もいませんでした。
それは、仲良くなる前もその後も含めてです。
もちろん、個人的に接してみて、コイツムカつくから合わないなという人はいました。
ただ、人種を理由に人格否定をされたという様な経験はありませんでした。
これは、中国人に関しても同様でした。
私はダーウィンという都市に3ヶ月間滞在していました。
そこで、セカンドビザ取得のためにファームジョブをやっていたのです。
その中で一時期、とあるバナナ農場で働いていました。
そして、そこには韓国人しかいませんでした。
宿舎も同じなので、四六時中彼らと寝食を共にしなければなりません。
しかし、生活を共にする中でも嫌がらせ等をされる事はなかったです。
むしろ、英語でコミュニケーションを取ろうとしてくれる人ばかりでした。
その姿勢に少し感動した事を今でも覚えています。
そして、そこで出会った一人と別のファームで一緒に働いたりもしました。
セカンドビザを取り終わり、ファームを出た後も連絡を取り続けました。
毎日一緒に酒を飲んだりと楽しい思い出ばかりが甦ります。
私に変な先入観や偏見を持って接していたままだったら・・・。
この様な関係性になることは、なかったとことでしょう。
あくまで、人と人のつながりです。
そこに国家間のいざこざ感情を持ち込むのは野暮だと思います。
今回は、差別される側の目線で触れました。
しかし、逆の立場になって考えてみることも大切です。
なぜなら、人は誰しも差別しているという感覚があまりに無自覚だからです。
例えば、当時の私は電車に乗る時、なるべく黒人の近くにはいない様にしていたと思います。
なんとなく、恐いなと内心身構えていました。
それは、物心ついた時から無意識レベルで感じていた畏怖でした。
ある日、警察官に取り押さえられている黒人を見た事がありました。
日中の繁華街で唾を吐きながら、何か捨て台詞を吐いて連行されていく様子。
それを目撃して、更に良くない印象として潜在意識に刷り込まれていったはずです。
こういった事を繰り返して、偏ったものの見方がより強固になるのでしょう。
私が差別されたと感じた人たちも、無意識レベルで行っていた可能性があります。
だから、気にも留めてなかったのかもしれません。
うがった見方をせずに相手と接して、それで合わないと思ったとします。
そしたら、距離を取ればいいだけです。
これは日本に居ようと、外国だろうと同じです。
不快だと感じた際は相手の真意を確かめましょう。
自分の意見もはっきりと言える様になれればベストです。
外国で自己主張しない事は、何考えているか分からない変な奴だと思われてしまいます。
意外と議論や口喧嘩をして仲良くなることも少なくありません。
そこで分かり合おうとする努力して、そうなれたら新しい友達がまた一人増えることでしょう。
それが無理ならさよならをすればいいだけです。
一歩踏み出して、歩み寄れる器量のある人間になれる様に目指す。
そうするとまた違った景色が見えてくるはずです。

