ジレンマが教えてくれた、本当の気持ち

ワーホリ回顧録

 ■綺麗ごとだけでは生きていけない現実の厳しさ

海外で生活するにあたって、アルバイトをしないと生活できない人がほとんどだと思います。

そして、仕事探しをするには、フリーペーパーやネットを見ればいいでしょう。

どこかしらのお店で、随時求人募集をしているはずですから。

また、採用してもらうこと自体は、そんなに難しいことではありません。

英語力のレベルに関わらずです。

私自身、オーストラリアに来て間もない頃、日本食レストランで働いていました。

それは、求められる英語力のハードルが低かったからだと思います。

なぜなら、私の担当は裏方だったからです。

仕事内容は、掃除・皿洗い・仕込みなので、接客をする機会がありませんでした。

だから、雇ってもらえた部分が大きかったのです。

そして、そこで働いている人達は全員日本人でした。

せっかく海外に来たのに、日本語を話す環境にいたら意味ないではないか。

その様なご指摘はごもっともです。

しかし、その時の私は、仕事を選べる立場も余裕もありませんでした。

とにかく働いて飯と寝床を確保しなければならなかったのです。

それに店頭販売をしていたので、そこの余りものやまかないを持って帰ることもできました。

そのため、自炊する手間や食費を浮かすことができました。

極貧だった当時の私にとっては、非常にありがたかったです。

私の場合は運良く、仕事を探し始めてすぐに採用をもらえました。

ポータルサイトで、2件目にメールを送った日本食レストランから、すぐ連絡がありました。

明日面接に来れますか?」との電話でした。

それに「行きます」と即答して受けた面接の帰り道です。

来週から働けますか?」と再び電話が来たのです。

それに対しても、「よろしくお願いします」と返答しました。

だから、僅か数日でトントン拍子に決まってしまったのです。

結果的にその店で半年近く働かせてもらいました。

しかし、初めの一ヵ月間ほどはかなり苦戦して右往左往していました。

何を隠そう、最初は1番大変な厨房を担当していました。

オーダーが入ったら伝票に記載通りのメニューを作る流れになっていました。

ですが、客が多い時は目が回るほど大変でした。

加えて、食材の仕込みや油の火加減調整等。

注文が入る前の段階からやることが多々ありました。

それらを中々上手くこなせずに、怒られてばかりでした

その様な要領の悪さが露呈し、一週間でポジションを変えられてしまったのです。

・・・・・

今度は、キッチンハンドの担当になりました。

サイドメニューや調味料作り・掃除・皿洗いなどが主な仕事内容でした。

だからと言って、仕事内容が簡単になったという事はなかったです。

覚えなくてはいけない事は、非常に多かったです。

ただ、厨房とは違い、時間的に急かされることは、少なくなりました。

だから、精神的な負担はかなり減りました。

特に皿洗いをしている時は、ほんの僅かなやすら安らぎの時間でした。

何も考える必要がなく無心になれたので、ほぼ休憩時間の様な感覚だったと思います。

しかし、それと引き換えに自分の中で新たな葛藤が生まれることになったのです。

■慣れが引き起こす、罪悪感に対する変化

皿洗いをしている時は、ホールから下げられてきたお皿をひたすら洗っていました。

当然、客の食べ残しを処理しなくてはいけません。

個人的にはそれが一番辛かったです。

ほとんど手を付けられてない様な料理も捨てなくてはいけませんでしたから。

食べ残しを嫌う自分にとっては、かなり心が擦り減らされる思いでした。

しかし、忙しい時には、そんな事を考えている余裕など全くありません。

ひたすら運ばれてきた皿とトレーを黙々と洗う。

そして、元の綺麗な状態にする作業に集中していました。

何回も同じ事を繰り返しているうちに、ある心境の変化に気づいたのです

最初は、自分の中で「もったいないなぁ」と叫びたくなるくらいの葛藤がありました。

しかし、その感情が段々と薄れていることに。

いい意味でも悪い意味でも、慣れというのは恐ろしいなと痛感した瞬間でした。

ただ、これは無意識下での自分なりの防衛反応だったのではないかと感じています。

ネガティブな方向に傾き過ぎて、精神が摩耗され続けるのを防ぐためだったのではないかと。

自分が食べていくために食べ物を粗末にしなくてはいけない。

結局、このジレンマは、最後までなくなりませんでした。

目の前の現状に対して腑に落ちない自分がいたのをはっきり覚えています。

それが、いくら客の食べ残しとは言えです。

それまで、アルバイト経験はありましたが、飲食店で働くのはその時が初めてでした。

そのため、シェアメイトなど周囲の人にこの事に関して相談をしたこともありました。

ですが、「考え過ぎ」や「そういうものだ」と言われて理解してもらえませんでした。

この時、飲食業界の闇の一端の様なものを垣間見てしまった気がしました。

そして、自分の中で、新たな感情が沸き上がっていました。

今後、同じような飲食業の仕事をすることはできないと。

ある種のトラウマになった出来事でした。

■相容れない感情が行き着く先

飲食店で働きながらも、食べ残しの大量処分に心を痛めた日々。

それでも、仕事として割り切らないといけないと自分を鼓舞した日々。

矛盾を抱えながらも、結局は心の痛みに慣れてしまった日々。

様々な感情が自分の中で渦巻いた結果、何も感じないという境地に行きつきました。

考えないという言い方の方が正しいかもしれません。

変なエゴやこだわりを持っていることは、明らかに仕事をする上で邪魔な存在でした。

それに自分以外で同じ様な考え方をもっている人はいませんでした。

それ以前に、聞いてみたことすらありませんでした。

同じ職場の人にこの事に関してどう思うかと。

なぜなら、変な質問をして同僚から変な奴だと思われることを恐れていたからです。

この店に限らず、どこの飲食店であっても、同じはずです。

この様なやり方で何年、何十年と経営し続けてきたに違いありません。

それに対して私が、偉そうな事を言う資格はなかったでしょう。

ましてや社会人経験もない、大卒上がりの当時の私みたいな若造がです。

これも一種の防衛反応だったのではないかと感じています。

だから、自分が間違っているのではないかという思考になっていったのでした。

食べ物がもったいない、これで救える命がいくつあるという様な考えは、あくまで綺麗事です。

何もできないただの若造の戯言や絵空事にしか聞こえないでしょう。

どうせ、口ばかりで1人では何もできませんでした。

それに、何かを変えようとするやる気や気概すらありませんでした。

その綺麗事を盾にして、自分の意見に正当性を持たせようとしているだけだったのです。

正しいこと、もっともらしいことを言っている様に感じたかもしれません。

別の側面から見れば、正しい意見だろうし、間違ってもいないはずです。

しかし、実は自分がネガティブな感情をただ感じたくなかっただけな気がします。

だから、自分の心の方にしかベクトルは向いていなかったのです。

なんて自分は、傲慢で我儘なのだろうと滑稽過ぎて愕然としてしまいました。

結局は、自分の事しか考えてなく、それでいて自分本位であるということでした。

■自分にできることを続けるしかない

話す人に説得力や重み、行動力が伴っていないと誰の心にも響きません。

例え、どんなに崇高な考えを持っていたとしてもです。

そして、自分1人でできる事は限られています。

それに、大きなことを成し遂げようとすれば当然膨大な時間がかかります。

いくら自分の惨めさや世の中の欺瞞を嘆いたところで、生きていかなければなりません。

自分の中で矛盾が衝突し続けたとしても、どこかで折り合いをつける必要があります。

それが、世間で言う”大人になる“ということなのだと思います。

思い返してみると、両親からよくこの言葉を言われた気がします。

だから、私自身としては幼い頃から何も変わっていないのだと思います。

理由は、これまで何一つ不自由な思いをすることなく生きてきたからです。

逆に言えば、それくらいある種、満たされていたのかもしれません。

そして、何事に関しても必要に迫られてやる必要性が全くありませんでした。

つまり、ハングリー精神がなかったということです。

(正直、今もあるとは言えませんが・・・)

やりたくもない習い事や塾もいい大学へ行って、就職するために我慢してやる。

なぜなら、皆がそうしているから、自分だけワガママ言うことは許されるはずがないと。

無理やり自分の気持ちを押さえ込んでいました。

漠然とした疑問やモヤモヤは抱いていました。

でも、怒られたくないからと仕方なく親に従っていました。

この様な状態で生きていたから、いつも全く楽しくなかったです。

だって、自分のやりたい事をやっていませんでしたから。

自信が持てないので、自分を好きになることもありません。

こんな事になってしまったのは、自分と向き合ってこなかったからです。

自分は何が好きで、得意で、どんな事に興味があってなど。

深いレベルで突き詰めて考えることが、全くありませんでした。

それ以前の問題として、その様な発想すらなかったです。

ワーキングホリデーで海外に出て、環境が変われば、考え方や行動が変わるはず。

そして、今までのダメな自分の性格も変わるはずだという期待を抱いていました。

しかし、結果としてそんな事は全くありませんでした。

だから、自分を知るための一歩として、始めたことがあります。

とことん、好きな事や興味のある事に触れてみることにしたのです。

それに対する、好きや興味の度合いに関係なく、手当たり次第に。

深く追求したり、派生して幅を広くしていってみようと。

それを続けていくと、ぼんやりと物事の見え方が変わっていきました。

そこから、なぜ自分はそれが好きなのか。

あるいは、なぜ不快に感じるのかを言語化していってみました。

そして、その言語化した内容が原体験とリンクすることに気づいたのです。

その様にして、自分自身の深層心理を顕在化させていったのです。

そうしようと思った理由は、それが、自分という人間を知る訓練になるはずだ。

この様な結論に至ったからです。

考える事と行動を繰り返し、肌感覚で得手不得手を掴む。

そうすれば、自然と次の行動に移せるのではないかと。

そうやって、できる事を少しづつ増やし、行動が伴った言葉に重みがある人間を目指す。

人との輪を広げ、誰かにとって有益な事を与えられる存在になる。

その頃には、社会に影響を与える存在になっているのではないかと。

例え、ほんのわずかでも、どんな形であったとしても。

正直、今でも何か大きな事を成し遂げようと言った考えがあるわけではありません。

ジレンマによって気づいた自らの深層心理に対し、失望と無力感しか感じていませんでした。

しかし、もっと自分を知ろうと決意した延長線上にあるもの。

それが、この記事であるということも一つの事実です。

そして、これをご覧になった方の心にほんのわずかでも、何かを届けられたかもしれません。

だから、まずは自分ができる最小単位の事から始めてみることをお勧めします。

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