■開き直ると事態が好転する不思議さ
私は、オーストラリアのダーウィンという北部の都市に滞在していた時がありました。
そこでセカンドビザ取得のため、ファームジョブで3ヶ月間ほど滞在していたのです。
このダーウィンという場所は、電車も通っていない比較的小さな街でした。
実際に働いていた場所は、離れた郊外でした。
しかし、都市部の街でも暮らしていた時もありました。
なぜなら、ダーウィン近郊のバナナファームで働いていたからです。
詳しくは後述しますが、そこを出てしばらくダーウィンの市街地で生活していたのです。
次のファームでの働き手の受け入れ時期が来るまで。
ただ、そのバナナファームでの仕事があまりにキツかったのです。
だから、1ヶ月も経たないうちにそこを辞めました。
情けない、根性無しだ思われるかと思いますが、本当にその通りです。
そして、そのファームのスーパーバイザーと呼ばれる人に市街地まで送ってもらいました。
そこから、バックパッカーでの暮らしが始まったのでした。
ファームジョブというのは、基本的に有給と無給の2種類があります。
前者はお金がもらえますが、仕事はかなり大変です。
後者は、お金はもらえません。
でも仕事はハードではなく、寝床と食事もついています。
私は、無給でいいのでもっと気楽にできる所を探そうと考えました。
そして、運よく新たに雇ってもらえることがすぐに決まったのです。
しかし、その時は人手が足りているので、約1ヶ月ほど待ってほしいとのことでした。
そこで、その受け入れまでの期間、時間を潰す生活が始まったのです。
毎日やることがないのでダーウィンの街中をブラブラしていてました。
でも、小さな街なので、すぐに散策も飽きてしまいます。
そこで、図書館によく入り浸っていました。
理由は、暑さしのぎの為のエアコンやWi-Fiが目当てです。
完全に堕落しきっていましたが、それでもお腹は空きます。
無駄遣いはできないので、少しでも節約しようとしていました。
だから、値引きされる夕方頃を狙って、よくスーパーに行っていたのを覚えています。
そんな生活をしつつも、このままでは流石に時間がもったいないと感じていた頃です。
短期で雇ってもらえる仕事をしようと決心したのです。
具体的には、ホテル等に履歴書を持参し、飛び込みで仕事の応募をしたりなどです。
オーストラリアではこの様な探し方はよくあることらしいです。
どうせやることなくて暇だったので、自分も挑戦してみました。
ただ、現実は厳しかったです。
履歴書すら受け取ってもらえずに門前払いされることもありました。
採用となった場合は、電話がかかってくることになっていました。
しかし、とうとう自分の電話が鳴ることは一度もありませんでした。
ある時、街の職業紹介所で説明会が行われるとの情報を得ました。
参加してみたものの、英語の説明でほとんど理解できませんでした。
ただ、登録料100ドルを払えば、優先的に仕事を回してもらえるらしいとのことでした。
かなりの痛手を覚悟で支払ったものの、結局ここでも仕事を得ることはできませんでした。
ボッタクリに遭ったのではないかと非常に損した気分になったことを覚えています。
そんなこんなで、ダーウィンでの生活はかなり前途多難でした。
自分なりに色々と試してはみたものの、上手くいかなかったです。
段々とやる気もなくなっていた頃でした。
しかし、明るい兆しが見えてきたのでした。
■意外と皆、暇を持て余している
なぜだか、段々と人との出会いや繋がりが急激に増えていたったのでした。
理由は全く分かりません。
結果的に外国人を含め、ダーウィン滞在中に街中で計4人から話しかけられたのです。
日本人だと思ったから話しかけてみたとのことでした。
これは、全員が共通して言っていたことです。
この中の2人は台湾人で、日本人の美容師の方を紹介してくれました。
お陰でダーウィンにいる間は本当に助かりました。
何せ、どこで髪切ろうかと悩んでいた心配事を消してくれたたのですから。
この美容師の方には格安で切ってもらえました。
それだけでなく、お酒もご馳走になったりしました。
また、この人の彼女さんも含めて一緒にお酒を飲んだりもしたものです。
本当にその方との出会いには今でも感謝しています。
詳しくは、こちらもぜひご覧ください。
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しかも、色々と話を聞いて一番驚いた話があったのです。
冒頭で触れた、バナナファームから市街地まで送ってくれたスーパーバイザー。
この方とこの美容師の方は知り合いだったということです。
世間は意外と狭いなと少し苦笑いしてしまった瞬間でした。
話かけてくれた他の2人に関しても、本当に感謝しています。
各々で更に共通の知人を交えて一緒に飲んだりしました。
どんどんと知り合いの輪が広がっていくのが不思議な感覚でした。
でも、ものすごく心地よい気分で楽しかったことを覚えています。
だって、一気に知り合いが増えていったのですから。
人付き合いが苦手な自分にとって、知らない異国の地での新鮮な体験の連続でした。
例え飲み過ぎて、二日酔いになってしまったとことも多々ありました。
でも、眠りにつく時から翌日まで余韻が続いて幸せな気分に浸ることができました。
やはり自分はずっと寂しさを抱えていたのだとはっきり気づいた瞬間でした。
ずっと、人の温かさを求めていたのだと。
それまで、たくさんの人達と交流してきていました。
具体的には、ホームステイ、ボランティア活動、レストランでのバイト、語学学校など。
ただ、どこか愛想笑いをして、嫌われない様に良い人を演じている自分がいました。
でも、そんな事をしなくても、素のままの自分でいることができました。
純粋にその場での時間を楽しんでいました。
だからこそ、日を跨いでも爽快な気持ちでいられたのだと思います。
意外だったのは、皆あまり忙しくなさそうであったことでした。
各々が目的を持ってダーウィンで生活をしていたはずです。
でも、自分と同じ様に留学やワーホリで来ているのだから、それも当然です。
毎日ハードワークをこなしているわけでもないはずです。
それに、同じ言語を共有できる存在というのは、外国ではとても貴重な存在です。
それが、ダーウィンの様な小さな街であるなら、なおさらです。
だから、一気に距離が縮まって仲良くなれたのだと思います。
しかしその一方で、少しストレスを感じることも新たに出てきたのでした。
■気まずさや息苦しさを感じることも
何度も述べている通り、ダーウィンは小さな街です。
お店の数自体が少ないので、目的に合わせて行く場所は限られてきます。
そうなると、ちょっと買い出しに行くだけでも、知り合いに会ったりしたものでした。
それが仲良い人であれば、何も問題ありません。
ですが、そうとは限らない気まずさが発生する時もあります。
あまり仲良くもない、微妙な関係性の人と顔を合わせた時がそうです。
パースにいた時もそうでした。
職場の顔見知り程度の人と街中ですれ違うことは、よくありました。
その時は、ものすごく居心地の悪くていたたまれなかったです。
何より、あからさまに避けられている様な素振りをされた時もありました。
正直、その様な態度を取られた時はかなり傷付きました・・・。
新しいファームへ行くまでの約1ヶ月ほどのバックパッカーでの滞在期間。
これは、思っていたよりも生活は快適でした。
何より、楽しい思いをたくさん経験させてもらいました。
でも、もしここで住むとなったら、また話は変わってくるでしょう。
色々と人の目を意識してしまい、大変そうだなとも感じてしまいました。
田舎暮らしと同じ様なある種のムラ社会。
それが、知らないうちに形成されていたのですから。
バックパッカーでの暮らしは、知らない人同士とは言え、大人数での共同生活です。
トイレ以外で1人になれる空間はどこにもありませんでした。
だから、気分転換の外出で、また知り合いがいるとなったら、息抜きもろくにできません。
またもや人見知りが発動してしまい、結局はないものねだりをしてしまっていたのです。
これに関しては、私自身、非常に深い反省と後悔がありました。
なぜなら、今この瞬間を精一杯楽しんでいないと気づいたからです。
思い返してみると、自分はいつも何かに我慢している日々の連続でした。
ファームジョブを頑張るのは、セカンドドビザのため。
つまり、常に未来にしか視線は向いていなかったのです。
だから、どこか遠慮がちで、全力で楽しむことができていませんでした。
ワーカーの仲間達との貴重な週一のBBQの時間すらです。
この時がワーホリ生活の中で一番楽しかった時期。
振り返ってみて、本当にそう感じています。
毎日テントで寝泊まりし、埃と汗まみれになりながらも楽しい日々を過ごしていました。
でも、どこか心ここにあらずという状態でした。
辛い大変だと感じた日々があっても、それがあったから成長できたのでむしろよかったと。
誰しもそんな経験があると思います。
少し話が逸れてしまいましたが、どんな時でも楽しむ姿勢を忘れないでください。
嬉しい時や幸せな時はもちろん、そうでない時も。
心に余裕が持てれば、後悔する回数は減るはずです。
■縁もゆかりもない土地で出会った人達からの学び
ダーウィンで過ごした日々は、本当に楽しくていい思い出しかない日々でした。
しかし、振り返ってみて、もっと楽しむことができたはずだ。
その様に感じる、後悔の念が残っているのも事実です。
結局、完全に馬鹿になりきることはできませんでした。
ありきたりな感想ですが、この地で出会った多くの人達に感謝しています。
もしダーウィンで生活するとなったら、私と同様にストレスを感じる人がいるかもしれません。
でも、そうではない人にとっては、魅力的な場所だと思います。
なぜなら、誰とでも知り合いになれてしまう可能性を秘めている場所ですから。
しかも、それは日本人という共通点だけです。
これは、日本人が極端に少ない、小規模な街だったからこそ、起こりえた現象だと思っています。
例えば、日本人の観光客が多いケアンズの様な場所だったら、どうでしょう。
この様な事は、あまり起こらなかったのではないでしょうか。
もちろん、同族をターゲットにした詐欺行為などが海外で横行しているのも事実です。
無条件で初対面の人を信用しないこと。
これは、パースのコーディネーターから最初に注意されたことです。
正直、その時の私には、全く心に響いていませんでした。
その当時は、本当にある意味純粋で、不用心かつ無防備だったと思います。
ですが、ダーウィンで危ない目やお金を騙し取られそうになったことは一度もなかったです。
それは、ただの結果論に過ぎなかったかもしれません。
しかし、あの時、不愛想で訝しげな顔をしていたら、話かけられることもなかったはずです。
なぜ、あの様な幸運が何回も続いたのかは、いくら考えても説明がつきません。
でも、孤独を抱えながらも、必死にもがいていました。
それが功を奏して、結果的に人の輪が広がっていったのだと思います。
そして、多くの人達の温かさに触れて救われました。
同時に楽しい思い出を作り、悩みごとまで解消されました。
この様な人に優しくしてもらえた経験というのは、本当にありがたかったです。
何事にも代えがたいほどの貴重な生きていく上での糧となっています。
この記事を読んだだけでは、ありきたりな綺麗事にしか聞こえないと思います。
事実、私自身人に裏切られ、傷ついて、誰も信じられなくなった時期もありました。
でも、救われた経験があったので、人に対して完全に希望を捨てることもありませんでした。
だから、他の誰かに恩を返す様に優しくすることもできたのだと思います。
ずっと都会暮らしで一定の距離感を持って生活してきたからこそ、気づいた発見。
それは、思い返してみた時、ふと腑に落ちる不思議な感覚でした。
都会、田舎での各々の暮らしにはどちらも一長一短があり、合う合わないがあると思います。
でも、今後の人生をどう生きるか考える上で、両方経験しておいて損はないのではないでしょうか。
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