海外生活をしていく中で気づいた、心境の変化

ワーホリ回顧録

■大なり小なり、人の影響を受けてしまうことには抗えない

誰しも、何かしらのコミュニティに属している人がほとんどだと思います。

そして、日々の忙しい中でも時間通りにきっちりと生活をされていることでしょう。

例えば、明日から単身赴任や留学か何かでどこかの国に行ったとします。

そこで、これまでと同じ様に規則正しく生活ができますか?

と質問され、胸を張って「Yes」と言える自信を持っていますか。

おそらく大多数の人は、Yesと答えるでしょう。

せっかく時間や金を投資して海外にいるのですから。

わざわざそれらを無駄にするような事を進んで行う人はいないと思います。

しかし、誰しも持っている、その高い志をぶれずに持ち続けていくことは簡単ではないです。

なぜなら、人は良い意味、悪い意味でもその環境に染まってしまうからです。

私は、合計8ヶ月間ほど、パースという西側の都市に滞在していました。

そして、その内の数か月間は、市内の語学学校に通っていました。

目的としては当然、英語力を伸ばしたかったからです。

特に私の場合、多くの日本人がそうである様に単語や文法などの基礎はできていた様でした。

しかし、それらを応用して話す、聞くという場数が圧倒的に足りない状態でした。

つまり、スピーキングとヒアリングに大幅は改善の余地があるということです。

これは、初日に行ったクラス分けテストの結果の際に言われました。

学校長からのフィードバックとしてです。

だから、それらの訓練も兼ねて色々な国の人と楽しく国際交流をしたい。

そして、その積み重ねで上達できれば理想だと思っていました。

毎日、授業が昼過ぎに終わってから、夕方のアルバイトまでしばらく時間がありました。

そのため、自習室で宿題をやるのが日課でした。

授業自体は、自分がそれまで受けていた、所謂座学とは少し違ったものです。

少人数のグループになり、ディスカッション形式で意見を言い合うものでした。

その様な授業は、慣れないながらも新鮮で楽しかったです。

学校へ行くことは全く億劫ではなかったです。

だから、毎朝授業の開始前までには机に着くようにしていました。

しかし、日本では目の当たりにすることのなかった光景を何度も目撃しました。

そうしているうちに、自分の中で少しずつ、心境の変化があったのだと感じています。

■無意識のうちに適応してしまう危うさ

まず、そこで唖然としてしまったことは、生徒が時間通りに来ないことです。

20名ほどのクラスでしたが、ちゃんと始業前に着席していたのは半分ほどでした。

10、15分の遅刻は当たり前で、それを繰り返しても先生は怒りません。

遅れてきた人たちは、当然の様に後ろめたい素振りもありません。

そして、前日に出された宿題もやっきていなかったのです。

だから、まずは遅刻者のために宿題をやる時間が取られていました。

皆で答え合わせをしていくために、やってない人に合わせることになっていたのでした。

今は一体、何の時間なのだろうと感じてしまうことが何回もありました。

私としては、授業後はバイトの時間まで十分時間があります。

それに、他にやる事もなかったので、変わらずに自分のペースで勉強に取り組んでいました。

そんなある日、そんな自分が遅刻してしまったのです。

15分ほど遅れて到着し、開口一番謝りました。

しかし、先生は本当に気にしていない様子でした。

何も咎められることはなかったです。

この時は、まだ初めての遅刻だからだと思っていました。

でも、その後に電車の遅延で少し遅れてしまった時も、何も言われなかったのです。

何回も遅刻して怒られないなんて経験は初めてだったので、拍子抜けしてしまいました。

子どもの頃から、学校や習い事の時間は守る様にと親から特に厳しく言われていました。

だから、開始前には必ず到着している様にする事が当たり前でした。

思い返してみると、遅刻し始めた辺りの時期からだったと思います。

自分自身が、少しずつ堕落した姿勢に傾いていってしまったのだと。

それ以降も変わらずに宿題など、やるべきことはちゃんとやっていました。

ただ、朝寝坊したとしても、別に怒られないという慢心が心の奥底にあったのだと思います。

どうせ怒られないだろうと思い、以前の様に急いでいない自分に気づいてしまいました。

もちろん、これは担任の先生が単に叱るのが面倒なだけだったのかもしれません。

それに、その学校に通っていた全ての生徒が遅刻するわけでありません。

他の学校であればまた状況が違っていたことでしょう。

しかし、知らぬ間に良くない方向に引っ張られていたのは事実です。

これは、人間の本質的な性なのではないかと感じてしまいました。

■どんな人間関係を築くかで、そこでの立ち位置も変わる

これまで述べた内容は、ネガティブな意味合いでの影響でしたが、その逆も然りです。

つまり、良い影響を受ければ、良い方向へ向かうということです

私は、一時期、同い年の日本人と行動を共にしていた時がありました。

理由は、セカンドビザ取得のためです。

その人は、私とは違い、誰とでも仲良くなれてしまうコミュ力に長けた人でした。

おまけにサッカーなどのスポーツも得意でした。

なぜ、その様な正反対の者同士が意気投合したのかと疑問に感じることでしょう。

おそらく、それは相手の不得意を補完し合う関係性だったからだと感じています。

彼がいてくれたからこそ、自分を解放することができました。

他の人達も交えた飲みの場で酒の力も借り、更に交友関係の輪が広がりました。

あまり無理せずに人付き合いができたことを覚えています。

虎の威を借りていた様で非常に情けないと感じることでしょう。

でも、私にはこうでもしなければ人とまともに会話ができませんでした。

それほどまでにコミュ障だったのです。

その代わり、彼は英語やPC、スマホなどの機械に疎かったです。

だから、全く得意ではなかったのですが、情報収集の役割は私が担っていました。

コミュ力は彼の方が断然上でしたが、そんな自分にも対等に接してくれました。

だからこそ、集団の輪の中で自分の色を出すことができました。

その場にもし、自分1人しかいなかったら、間違いなくぎこちない会話になっていたはずです。

下手したら、内心馬鹿にされていたかもしれません。

でも、誰かと一緒にいるという心強さがありました。

だから、自分に一歩踏み出す勇気をくれたのは事実です。

その場しのぎのことだと言われたとしても、その指摘も間違っていません。

でも、自分にとっては、非常に貴重で学びのある経験だったことには変わりありません。

■できる人はどこでも上手くやっていけてしまう

程度の差はあれ、良い意味、悪い意味でもその環境や人から誰しも影響をうけてしまう。

これは、避けられないことだと感じています。

だから、同じ様にやる気を持った人といなければ、それを持続させるのは大変なはずです。

そうでなければ、高いモチベーションを保ち続けるのは難しいです。

でも、結局器用な人はどんな場所でも、何事もそつなくこなしてしまいます。

そして、やはりマインドが違います。

何事にも左右されない確固たる軸を持っています。

そして、そういう人は男女から共にモテます。

発する言葉に深さや重み、説得力があるからこそ、人を惹きつけるのでしょう。

私自身、シェアハウスで過ごしていた中で非常に堕落した時期がありました。

たまたま気が合うメンバーが集まった時期があったのです。

毎日の様に夜更かしを繰り返す日々を送っていました。

それに、その人達は色々と酒や食べ物を差し入れてくれたのです。

だから、夜遅くは食べないという自分の中で課していたルールを破っていました。

欲望に忠実なまま、暴飲暴食を繰り返していたのです。

当然、どんどん太っていきました。

でも、それに関しては、言い訳をして誤魔化していました。

結局、その時の私はシェアメイトの機嫌を損ねたくないからと迎合していました。

自らを律することができなかったのです。

前述の通り、しっかりと軸を持った人ならば、器用な人付き合いができたでしょう。

これは、私が流されやすいブレた性格だったからこその結果です。

だからこそ、影響を受けてしまう前に、見極める必要があったと思います。

そこから離れて適度な距離感を保つべきかどうかの判断が。

お互いにとって、プラスなのかマイナスなのか。

この関係性を続けていくべきかをしっかりと判断すべきでした。

また、曖昧な態度を取らない様にすることが大切です。

そうすれば、自分の中に一本の筋を通すことができるのはないでしょうか。

これまで散々失敗してきた奴が、何を偉そうな事を言っているのだ。

そう感じたのであれば、それはごもっともなご指摘です。

しかし、私の様な人間だからこそ、この記事の内容自体を戒めにできると思います。

そして、一生涯の課題として、取り組んでいけると信じています。

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